奈良県指定文化財


岡寺本堂。奈良県指定文化財。現在の本堂は棟札などから、文化2年(1805)の上棟ですべての完成迄に30年以上かかった事が判明。4mを超えるご本尊さまが安置されているお堂であり境内の中でもひときわ目立つお堂。
初午の開運厄除護摩供大般若法要など主な法要はこの本堂で勤修されています。

重要文化財

国指定の重要文化財。
慶長17年(1612)建立。埋蔵文化財の宝庫といわれる明日香村において建造物で唯一、重要文化財に指定されているのは、岡寺のこの仁王門と書院だけであります。
正面両脇には仁王像を安置。仁王門全体の歪み・各部の破損も著しくなったため昭和42年から同43年にかけて大規模な解体修理を行う。その時の調査でこの仁王門はほとんどの部材を古材を転用、あるいは作り替えられて使用されている事が判明。これらの古材は文明4年(1472)7月21日の大風で倒壊し、翌年に再建に着手したが完成にいたらなかった「塔」のものであると思われます。四隅上にはそれぞれ阿獅子・吽獅子・龍・虎があり大変珍しい形態となっています。

重要文化財

 

国指定の重要文化財。普段は非公開。
仁王門と同じく明日香村で建造物として唯一重要文化財に指定されています。この書院は奈良県下では数少ない書院建築として重要視されており昭和61年に重要文化財の指定を受けました。その翌年から破損甚しいため解体修理に着手し、平成元年に完成。その時の調査で書院建立を決定づける資料は発見されませんでしたが、南面側通りの足固框内面から寛永21年(1644)在年の墨書きによる落書きが発見され、この部分は当初材である事に異論はなく、また書院を建てる前か組み立て途中にしか書けないため、書院建立はこの年か、それ以前という事になります。

奈良県指定文化財

奈良県指定文化財。書院(重要文化財)の前方に建つ入母屋造の楼門。古くは内部に鐘を吊っていた鐘楼門であったが、過去の古い写真等を見ると、この2階部分には現在本堂にて陳列している平安時代作の兜跋毘沙門天が祀られていた事が判明。京都、東寺の兜跋毘沙門天もかつては羅城門の楼上に安置されていたというので、ここ岡寺においても楼門に兜跋毘沙門天が祀られていてもなんら不思議ではないと思われます。建立年代は仁王門に転用されている古材と同種の痕跡をもつ部材が多く使われている事からこの楼門も仁王門と同様に慶長年間(1596~1615)頃の建立と考えられています。独特の形式を持つ小型の鐘楼門として大変珍しい遺構であるといわれています。

本堂の西側に軒を接して建つ妻入り三間堂。阿弥陀三尊を安置。
多武峰妙楽寺(現、談山神社)より移築されたお堂で元は護摩堂であったと伝わる。移築の際、屋根の形状が桧皮ぶきから瓦葺きに変更されたが、その影響でお堂自体にかなりの負担がかかり痛んでいたので、その負担を無くし、なおかつ元の形状に戻す為、平成16年よりおよそ2年の月日をかけ解体修理を行い、現在は元の姿に。
この解体修理では建立年代と思われる『寛政9年』の墨書きが発見され、また移築当時の棟札も発見され、明治4年に当寺に移築されたことが明らかになる。この前年の明治3年には廃仏毀釈の運動がふきあれていたことから、その影響で岡寺に移築されたと考えられています。
 

 

 
 

正確な建立年代は不明ですが、梵鐘には文化5年(1808)と刻まれており、建築様式などから本堂と同時期に再建されたものと思われます。
 右側の鐘の写真を見ていただければ、鐘の中央付近に7つ穴があいているのが分かると思います。これは先の戦時中に供出のため鐘の材質を調べる為にあけられた穴の跡です。当時、全国の寺院でもそうだったようにこの鐘も供出の運命にありました。しかし幸運にも供出の難から逃れられ、現在もその音色を明日香に響かす事が出来ています。難を逃れた理由は明らかになってはいませんが、先人の人々の苦労、そして観音様のお力があった事は明らかであります。
 
『この鐘の音は、音楽でいう’’ド’’と’’ミ’’のハーモニーに聞こえる。もし’’ド’’と’’レ’’だったら嫌な音になる所だ。よその寺の鐘は、一つの音に聞こえる事が多い。岡寺に来ると、懐かしい故郷に帰ってきたような気持ちになるのは、この心地よい和音のおかげだろうか。それだけでなく、二度と戦争を繰り返さないように、という観音様のメッセージがこもっているのも理由かもしれない。人々の心にいつまでも鳴り響き続けてほしい、そう願いたくなる音だ。』
2006年6月21日 朝日新聞 夕刊 日本音紀行〜もうひとつの風景〜 安本義正氏
 
今日においては難を逃れた鐘という所以からかやくよけの参拝者の方や、西国巡礼の参拝者の方などたくさんの参拝者の方が様々な思いを込めてこの鐘を撞き、年中明日香の地にその音色を響かせます。また毎年大晦日にはたくさんの参拝者がこの梵鐘を撞きにこられ、年越しをされます。岡寺の梵鐘はやくよけの鐘でもあり、平和を祈る鐘でもあります。
 
 

 

古来三重宝塔は旧境内地(現治田神社境内)に建っていましたが、文明4年(1472)7月21日の大風により倒壊してしまいました。翌年から早速に勧進が進められましたが、完成をみず、やがて解体転用されることになりました。(現、仁王門・楼門の部材に転用)創建当時の塔についての詳細は分かっていませんが鎌倉時代初期に岡寺に三重塔があったことが『諸寺建立次第』によって明らかにされています。
その後も復興される事なく長い月日が経ちますが、昭和59年の弘法大師千百五十年御遠忌を契機に復興に着手、昭和61年に実に514年ぶりに再建。そして平成6年より三重宝塔の荘厳として扉絵・壁画・琴などの作成に着手し、平成13年に完成。
特に軒先に荘厳として吊るされた琴は全国的に見ても復元されている例はなく、珍しい荘厳となっています。毎年10月第3日曜日の開山忌にはその扉絵・壁画が年に一度公開されます。
 

昭和の始めの建立。宗祖 弘法大師さまが御本尊。
お堂の前にはお大師さま幼少期のお姿の『稚児大師像』と四国の地を巡り修行していた頃の『修行大師像』がおられます。お参りされた親御さん子供たちは身体健全などを祈願しながら稚児大師さまを撫でていき、修行大師像は足腰の健全、身体健全などを祈願しながらそのおみ足を皆様なでてお参りされています。
 

タブ:上タブ式

 

 本堂前、龍蓋池の上手には十三重石塔がありさらにその上にいくと開祖 義淵僧正の廟塔と伝えられる宝篋印塔がある。保存は特に良好で相輪にいたるまで完存し、規模は大きくはないが全体の均衡がよくとれ、造立年次や由緒も明らかで、南北朝時代の宝篋印塔の好例であると言われています。
奥の院参道中程には『瑠璃井』と言う井戸があり、現在も清冽な水が滾々と湧き出ており『大和名所図絵』巻五には「奥の院の霊水は弘法大師龍神を祈り給ひしかば忽清泉洋々として溢満せり。諸人これを吞ば厄疾をのがるとぞ」とあり、お大師様ゆかりの厄除の涌き水となっています。(*現在はお飲みいただくことはできません)その奥、道の傍らには仏足石や石仏などがあり、つきあたりに鎮守の稲荷明神社(如意稲荷社)があり、その右奥には「弥勒の窟」といわれる石窟堂があり奥には弥勒菩薩座像が安置されています。